ネパール逍遥
「観光」という言葉には、なぜ「光」が入っているのだろう。
前から不思議に思っていた。
物の本で調べてみると、『周易』にその由来があるという。儒学の経典として『易経』とも呼ばれる。周王朝の時代であるから、この書物ができたのは、ざっと二千数百年前である。
そのなかに「觀國之光 利用賓于王」という一節がある。書き下すと「国の光を観る、用て王に賓たるに利あり」となる。パッと読んでもわけがわからない。私なりに翻訳すれば、
「ある国の光をよく観て、よく知ることに努めれば、その国の王に重く用いられることができる」
といったところだろうか。
だが、けっきょく、「光」とはなにかが、わからない。
ネパールへ、行った。
写真は、「感光」によって生まれる。照射を受けたセンサに発生した電荷が画像をつくリ出す。これは物理的な「光」である。
私は、カトマンズで、ヒマラヤで、撮像素子を感光させる。
ネパールの人は私が山を見ていると、「ヒマール…」と、教えてくれるように、しかし、独りごとのように言う。だが、私が峰のひとつを指差して、あの山はなんという名前ですか、と訊くと、知らない、と答えが返る。
もちろん、山の名前はそれぞれにあることだろう。しかしそれを名前であつかわないことは、名前のない感情があることなのだ。意味を求めず、神を求める眼があることなのだ。
私は、カメラを提げて、ただネパールを逍遥する、つまりそぞろ歩くだけの者であった。だが、ネパールの人は、レンズの向こうにある私の目を、まっすぐ見てくれる。
「眼光」という言葉があるが、眼が光を放つわけではない。その奥にあるなにかが輝きを放つとき、私たちはそれを光と呼ぶ。
はじめの疑問に戻ろう。観光の「光」とは、なんだろう。
それは物理的な光ではない。
目に見えるものは情報である。網膜に映るものも、撮像素子に写るものも、情報である。
私たちがある場所へ行き、ある人に会うとき、私たちは情報をほんのすこしの手がかりにして、その奥にある輝きを捉えようとしているのだ。
ひとり逍遥していただけの私は、やがてカトマンズで仲間と落ち合い、共通の課題に向かって山を登ることになる。旅は、トラベルからジャーニーへと変化してゆく。次回もネパールの話を続けよう。
田中 泰延
1969年大阪生まれ。株式会社 電通でコピーライターとして24年間勤務ののち、2016年に退職。「青年失業家」「写真者」を名乗り活動を始める。2019年、初の著書『読みたいことを、書けばいい。』(ダイヤモンド社)を上梓。Twitter:@hironobutnk